江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保智惠美、1937年1月11日 - 1982年2月13日)は、昭和期に活躍した日本の歌手・女優・タレントである。
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1937年(昭和12年)1月11日、東京市下谷区(現・東京都台東区下谷)に3男1女の末娘として生まれる。血液型A型。
父・久保益雄は福岡県田川郡添田町の出身。独学でクラリネット奏者になったが、軍事徴用での工場の作業で指の先を痛め、以降再び独学でピアノ弾きに転向したりと、ともかく「音楽センス」の素晴らしい人だったと言われており、チエミが生まれた頃は船のバンドマスター、吉本興業の所属になっていた(デビュー当時のチエミも吉本の所属。その頃の吉本は今のようなスケールではなく花菱アチャコ・チエミくらいしか稼げるスターはいなかった)。バンドマスターを経て吉本所属(東京吉本)の大スター、柳家三亀松(三味線漫談)の相三味線やピアノ伴奏を務める(三亀松の語りにあわせての効果音的なピアノ伴奏は絶妙で、三味線もコードを変えて音を重ねるなど巧みな腕を持っていた)。この三味線、ピアノも独学で習得。チエミの音楽素養のなかの「順応性、適合性」はこの父親の遺伝子によるものと思われる。
母は、SKDが東京に出来る前の宝塚歌劇の前身のようなレビュー一座・東京少女歌劇出身の女優、谷崎歳子。のちに浅草の軽演劇の舞台に立ち、吉本興業に所属。名喜劇女優として、当時同じく吉本にいた笠置シヅ子と共演したり、榎本健一とも映画で共演したりしているが、チエミを身ごもるころより身体を壊し、一線から退いた。
少女歌手、江利チエミのルーツは「生活を支えるため」であり、この点は美空ひばりとの相違である。ひばりはひばりの母親のなし得なかった「歌手になる」という夢と、自身も歌が好きで非常に巧かったということが合致し、マメ歌手の人生をスタートするが、豊かではないまでも実家は父が「魚増」という鮮魚店を営み、家計に困窮していたわけでは無かった。
かたやチエミは、三亀松師匠とのいわば喧嘩別れで失職した父、病床で寝たり起きたりの母、また3人の兄、これだけのものを背負っていた。
長兄も陸軍士官学校出身で英語も堪能なエリートだったが、戦後の価値観の変化などで順調とは行かず、結局、父がマネージャー、長兄が付き人という3人4脚での芸能活動が、1949年(昭和24年)、12歳のころからスタートすることになった。
進駐軍のキャンプまわりの仕事をこなしていくうちに彼女はドリス・ディの「アゲイン」などを習得して、ジャズ歌手という方向性に照準をあわせる。進駐軍のアイドルとなり、愛称は「エリー」となる。芸名の江利チエミはこの「エリー」から母が名づけた。特にチエミをかわいがってくれた進駐軍兵士ケネス・ボイドから彼女は運命のレコード「テネシーワルツ」をプレゼントされる。
この曲を自分のデビュー曲と心に決めるも、レコード会社のオーディションにことごとく失敗する。なんとか最後の頼みの綱であるキングレコードの試験にパスし、1952年(昭和27年)1月23日に自分の意志を貫き「テネシーワルツ/家へおいでよ」でレコードデビューを果たす。そのとき15歳。しかし吹き込みは前年の11月だったため、キングレコードは「14歳の天才少女」というキャッチコピーを提案した。しかしこのとき「嘘をつくのは嫌だ!」と抗議。少女時代から自分の意志を通す一徹な部分を持った性格だった。なお、母はチエミのデビューを待たず1951年6月に不帰の客となっている。
同年、初主演映画の『猛獣使いの少女』に出演、「美空ひばり以来の天才少女」と呼ばれるようになる。
チエミのテネシーワルツの大ヒットは「日本語と英語のチャンポン」というスタイルを用いたこともあり、それまで都市部中心でのブームであった「ジャズ」(当時は洋楽を総称してこう呼んだ)を全国区にするにあたり、牽引役を果たした。後のペギー葉山、そしてカントリーの小坂一也など、そしてロカビリーブームといった、日本における「カバー歌手」のメジャー化のさきがけを果たした。
本来、チエミの興行の権利を握っていたのは吉本興業であった。若き日の永島達司はチエミの興行を打った会場で「山口組の三代目と吉本の林さんが怖そうな人と来てるから逃げてください」と忠告された。挨拶に行くと二人は「ウチのところでもやってくれ」と切り出してきた。後に『夢のワルツ』(講談社)の中で永島は、大物二人は文句を言おうと思ってきたが会場の客層を見て(キョードー東京の連中を)使った方が便利だと考えたんだろう、と笑っている。
メジャーデビューの翌年、1953年(昭和28年)の春には、招かれてアメリカのキャピトル・レコードで「ゴメンナサイ / プリティ・アイド・ベイビー」を録音、ヒットチャートにランキングされるという日本人初の快挙を達成。ロサンゼルスなどでステージにも立ち絶賛を浴びる。帰路のハワイでも公演を成功させ、そこで合流したジャズ・ボーカル・グループ「デルタ・リズム・ボーイズ」と共に凱旋帰朝、ジョイント・コンサートを各地で開き、ジャズ・ボーカリスト・ナンバー1の地位を獲得する。
なお、チエミが渡米している間にライバルとなる雪村いづみがデビュー。帰国第一声は「雪村いづみって、どんな子?」だったという。しかもデビュー曲が自らカバーしようと準備していたテレサ・ブリュワー「想い出のワルツ」(原題: Till I Waltz Again with You)だったので心中おだやかではなかったが、スカートの丈が合わずシミーズが少し出た背の高い痩せぎすな少女・いずみが空港で出迎え、その屈託の無い可憐な姿にチエミの心は和み、やがて二人は終生の親友となった。
美空ひばり・雪村いづみとともに「三人娘」と呼ばれ、一世を風靡。『ジャンケン娘』(1955年)などの一連の映画で共演。その頃からチエミは、日劇をホームグラウンドとして活躍、日劇の歴史で「歌手の名前がそのロングラン公演のタイトル」となったのは、1955年(昭和30年)4月26日 - 5月6日『チエミ海を渡る』がさきがけだった(江利チエミ日劇初出場はメジャーデビュー前の1951年(昭和26年)。1952年から1967年までリサイタルを開いた)。またTBS『チエミ大いに歌う』は、ワンマンショウスタイルのさきがけともなった歌番組(1965年4月 - 11月)であった。
thumb|ジャズ娘誕生
映画の『サザエさん』シリーズ(1956年から全10作が作られた)もヒット。のちにテレビドラマ(1965年 - 1967年)、舞台化もされ生涯の当たり役となる。東映作品『ちいさこべ』では京都市民映画祭/最優秀助演女優賞を獲得、『ふんどし医者』など、自身主演の音楽娯楽映画(『唄祭りロマンス道中』(渥美清・共演)、『ジャズ娘誕生』(石原裕次郎・共演)、『チエミの婦人靴』など)以外にも数多く助演した。
1959年(昭和34年)、ゲスト出演した東映映画での共演が縁で高倉健と結婚、家庭に入るものの、1960年(昭和35年)に本格的に復帰。高倉とは義姉(異父姉)による横領事件(後述)などがあって1971年(昭和46年)にチエミ側から離婚を申し入れることに。チエミは数年かけて数億に及んだ借財と抵当にとられた実家などを取り戻す。
1963年(昭和38年)には日本におけるブロードウェイ・ミュージカル初演の東京宝塚劇場での『マイ・フェア・レディ』に主演しテアトロン賞、毎日演劇賞、ゴールデン・アロー賞(第1回大賞)などを受賞、またこれに遡る1961年(昭和36年)には「歌手としてはじめて」の舞台の1か月座長公演も梅田コマ『チエミのスター誕生』で果たし、舞台女優としても活躍した(翌1962年の新宿コマ『スター誕生』公演で芸術祭奨励賞受賞)。代表作には、『アニーよ銃をとれ』、『お染久松』(芸術祭奨励賞)、『芸者春駒』、『白狐の恋』(芸術祭優秀賞)、『春香伝』、『花木蘭』などがある。
新宿コマの座長公演は1962年(昭和37年)の『スター誕生』から1978年(昭和53年)の『サザエさん』まで続いた。松竹系の舞台でも、1953年京都南座で音楽劇『二十四の瞳』に主演。助演した舞台にも東宝歌舞伎『沓掛時次郎』(長谷川一夫と共演)、コマ歌舞伎『春夏秋冬』(現:坂田藤十郎(4代目)、当時の中村扇雀と共演)があり、女優としても幅広い活躍を続けた。
テレビドラマも『チエミの瓦版太平記』、『咲子さんちょっと』、『あの妓ちゃん』、『黄色いトマト』、『ねぎぼうずの唄』、『はじめまして』、『赤帽かあちゃん』など多数の作品に主演。
その活動の範囲は、歌手・女優に留まらず、NHK『連想ゲーム』の紅組キャプテン、TBS『みんなで歌おう73 - 75』のメインパーソナリティなど司会業でも活躍し、テレビ朝日『象印クイズヒントでピント』では女性軍2代目キャプテンを務めていた。
年末恒例の『NHK紅白歌合戦』へは、「三人娘」の中ではチエミが一番早く、1953年(昭和28年、第4回)に「ガイ・イズ・ア・ガイ」で初出場を果たす。1956年(昭和31年、第7回)では、雪村いづみが本番当日胃痙攣の為に出場辞退、急遽チエミが雪村の分も合わせて、出場者の印である赤い花を2つ胸に付けた。そして、自宅療養していた雪村からの「チー子がんばれ! テレビで観てる」との電報を読み上げたのち、「お転婆キキ」を熱唱した。
1963年・1964年(昭和38・39年、第14回・第15回)は、現役歌手としてはじめて紅組司会も担当した。1968年(昭和43年、第19回)には、当時の連続出場最多記録となる16回目の紅白出場を達成したが、この1968年がチエミの生涯最後の紅白出演となった。
次の1969年(昭和44年、第20回)は、「紅白に出場して欲しい歌手」上位三名に入っていたにもかかわらず、「歌唱力が落ちたから」との理由で落選し話題となる。翌1970年(昭和45年、第21回)の紅白は2年ぶりの復帰出場が決まっていたが、チエミ自ら「ヒット曲がないから」「前年に比べて歌唱力は上達していないと思います」などとの理由により、敢えて紅白への出場辞退を表明した。現役歌手で紅白出場が決まりながらも辞退したのはチエミが史上初めてのことであったが、この他越路吹雪らも紅白を辞退することとなる。
その後も、1974年・1975年(昭和49・50年、第25回・第26回)には『酒場にて』が久々にヒット曲となったが、チエミは「もう紅白は卒業したので…」と、やはりNHKからの出演要請を頑なに拒んだ。
1982年(昭和57年)2月13日午後、港区高輪の自宅マンション寝室のベッド上で、うつ伏せの状態で吐いて倒れているのをマネージャーに発見されたが、既に呼吸・心音とも反応が無く死亡が確認された。死因は脳卒中と吐瀉物が気管に詰まっての窒息によるもので、45歳だった。
風邪と飲酒で体調が悪かったところに、ウィスキーの牛乳割りを呷り、さらに暖房をつけたまま薬を飲んで寝入ってしまったのが原因と言われる。その前日は、一昨日に行われた熊本でのイベントから帰宅したばかりで、亡くなった日の当日も北海道でのステージが組まれていた。あまりの突然の死に、チエミの親友だった「三人娘」の美空ひばりと雪村いづみ、他清川虹子や中村メイコらもショックを隠しきれずに号泣、チエミの葬儀の席でも深い悲しみに暮れていた。
偶然ではあるが、チエミの柩が玄関を出た2月16日は、奇しくも最期まで愛してやまなかった高倉健との結婚で、花嫁衣装を着て実家の玄関を出た日と同じであった。その高倉はチエミの葬儀当日、会場の前で車を停め手を合わせていたという。それから数週間後の3月3日、仕事関係者らによる音楽葬が行われた。
また、チエミの急逝は、本来ならばワイドショー番組などで大きく報じられるものであった。しかしそのほんの数日前、2月8日にホテルニュージャパン火災と、翌2月9日には日航機羽田沖墜落事故という、二つの大事故が連日にわたり発生、当時のワイドショーはニュージャパン火災と日航機墜落事故で特別報道態勢を敷き大わらわだったため、各テレビ局はさらに大混乱に陥り、彼女の死は予想以上に小さな扱いになってしまった。これらの大事故の余韻が褪めた後でチエミの追悼番組などが組まれ、マスコミでも大々的に取り上げられることになった。
チエミの実母と幼くして生き別れになり、名古屋で家庭をもって暮らしていた異父姉のY子は、ある日「テネシーワルツでスターになった歌手、江利チエミ」が自分の妹であることを知った(母のプロフィール:谷崎歳子の名でそれを知る)。
彼女は経済的に困窮している、家庭がうまくいっていないと虚実を語り、家政婦・付き人といった形で江利チエミ一家に入り込む。身の回りの世話を手伝いながら徐々に信頼を得ていき、最終的にはチエミの実印を預かるまでになった。ここからY子の捻じ曲がった感情によるいわれのない「江利チエミへの復讐」が始まる。
Y子は高倉健、チエミにそれぞれの「誹謗中傷」を吹き込み、離婚への足がかりを作ることとなる。また実印を使ってチエミ名義の銀行預金を使い込み、あげくは高利に借金をし、不動産までも抵当に入れた。事件発覚後も容疑を否定し、チエミへの誹謗中傷を週刊誌で行い、挙句は失踪、自殺未遂まで行う。チエミは自己破産をせず責任は自分でとると決意、断腸の思いで義姉を告訴。義姉には実刑判決が下る。不遇の境遇の自分と「大スターの妹」との差に嫉妬した計画的な犯行であった。
2億とも4億とも言われた動産の被害、不動産担保を、チエミは一人で完済した。
デビュー直前の母の死、3人の兄もチエミ存命中に2人が亡くなり、高倉健との間に授かった子供も流産、またかわいがっていた甥の電車事故死、そして離婚と家庭運に恵まれなかった部分も多かった。さらに1968年にはポリープによる声帯の手術、また1970年には自宅を全焼、1972年(昭和47年)には日本航空351便ハイジャック事件に乗客として遭遇しており、栄光の陰になぜか「不幸」がつきまとう波乱の生涯であった。
ジャズ・ポップスを皮切りに、東京キューバン・ボーイズとのコラボレーションによる「チエミの民謡」、ミュージカル、そしてオリジナルもポップス系から演歌と幅広い楽曲をこなすレパートリーの広さも特長だった。また『NHK紅白歌合戦』でも、数回民謡を披露している(八木節・ソーラン節など)。
#テネシー・ワルツ/カモナマイハウス(家へおいでよ)(1952年1月発売)
#トゥー・ヤング/ビビディ・ボビディ・ブー(1952年5月発売)
#サーカスの少女/情熱のトランペット(1952年6月発売)
#涙の母子鶴/ワンダフル娘(1952年9月発売)
#サンパギタ/ふるさとのお母さん(1952年10月発売)
#チャタヌギ・シュー・シャイン・ボーイ/ブルー・ムーン(1952年10月発売)
#アゲイン/プリティー・アイド・ベイビー(可愛い瞳)(1952年12月発売)
#サイレント・ナイト/ジングル・ベル(1952年12月発売)
#チエミの花売り娘/東京ワルツ(1953年1月発売)
#ガイ・イズ・ア・ガイ/ティー・フォー・ツー(1953年2月発売)
#トランペット・ラグ/愉快なドラム(1953年3月発売)
#鍛冶屋のブルース/シャンハイ(1953年4月発売)
#歩いて帰ろう(Walki'n My Baby Back Home)/ユー・ビロング・ツー・ミー(1953年4月発売)
#思い出のワルツ/サイド・バイ・サイド(1953年6月発売)
#君呼ぶワルツ/ハウ・ハイ・ザ・ムーン(1953年9月発売)
#ジングル・ベル/ホワイト・クリスマス(1953年11月発売)
#ヴァイヤ・コン・ディオス/ペイパー・ムーン(1953年11月発売)
#君慕うワルツ(チェンジング・パートナー)/サニー・サイド(On The Sunny Side Of The Street)(1954年1月発売)
#アンナ/ジャンバラヤ(1954年3月発売)
#心のワルツ/40杯のコーヒー(1954年6月発売)
#ウェディング・ベルが盗まれた/ムーチョ・ムーチョ(1954年7月発売)
#ウスクダラ/夢みるあの人(1954年8月発売)
#スコキアン/セ・シ・ボン(1954年12月発売)
#嘆きのワルツ/パパはマンボがお好き(1955年3月発売)
#裏町のお転婆娘/インタンブール・マンボ(1955年6月発売)
#恋人よわれに帰れ/踊ろよヘンリー(Dance with Me Henry)(1955年8月発売)
#ロック・アラウンド・ザ・クロック/スウィート・アンド・ジェントル(1955年11月発売)
#チャチャチャはすばらしい/旅情のボレロ(1955年11月発売)
#おてんばキキ/ババルー(1956年4月発売)
#ロック・アンド・ロール・ワルツ/ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー(1956年8月発売)
#なつかしのリスボン/今日かぎり(1956年8月発売)
#テ・キェロ・ディヒステ/セプテンバー・ソング(1956年11月発売)
#グレンドーラ/誇り高き男(1956年11月発売)
#ママ、ダンスを教えてね/何時か何処かで(1957年1月発売)
#雨降る町を(雨に歩けば)/やさしく愛して(1957年2月発売)
#バナナ・ボート・ソング/シンコ・ロブレス(1957年5月発売)
#霧のロンドン・ブリッジ/マリアンヌ(1957年6月発売)
#串かつソング(シシュ・カバブ)/バイ・バイ・ラヴ(1957年9月発売)
#ヤンミー・ヤンミー/キャリオカ(1958年1月発売)
#月のなぎさ/スワニー(1958年3月発売)
#恋のキッスは?/セントルイス・ブルース(1958年5月発売)
#君は我が運命/虹のかなたに(1958年7月発売)
#さのさ/五木の子守唄(1958年11月発売)
#ハウスボートのラブ・ソング/ビン・バン・ボン(1959年2月発売)
#黒田節/おてもやん(1959年3月発売)
#花の江戸ッ子娘/わたしゃ大島油売り(1960年1月発売)
#木遣くずし/八木節(1960年1月発売)
#マリーナ/ある恋の物語(1960年7月発売)
#奴さん/花笠踊り(1960年12月発売)
#深川くずし/しののめ節(1960年12月発売)
#ネヴァー・オン・サンディ/ヴァイア・コン・ディオス(1961年2月発売)
#あなたの自由に/君住む街角(1961年7月発売)
#ハワイのクリスマス/カリプソ・クリスマス(1961年10月発売)
#東京さのさ娘/咲子さんちょっと(1962年10月発売)
#都々逸/田原坂(1963年1月発売)
#常磐炭鉱節/斎太郎節(1963年1月発売)
#アンチェイン・マイ・ハート/ダニー・ボーイ(1963年3月発売)
#北九州音頭/北九州音頭(オーケストラ)(1963年5月発売)
#涙のテネシー・ワルツ/スワニー(1963年5月発売)
#思い出のサンフランシスコ/わたしはダディのもの(1963年12月発売)
#大漁節/草津節(1964年1月発売)
#踊りあかそう/すてきじゃない(1964年3月発売)
#新妻に捧げる歌/空を帽子に(1964年3月発売)
#母さんにさわってみたい/ないしょの話(1964年10月発売)
#おてもやん/三階節(1964年12月発売)
#ショウほど素敵な商売はない/月光の子守唄(1964年12月発売)
#チエミのドンパン節/佐渡おけさ(1965年4月発売)
#夫と妻といとし子と/私たちの国(1965年6月発売)
#みれん/誰もいないとき(1965年9月発売)
#飛んでみたい/泣きたい時に(1965年10月発売)
#若者音頭/新さのさ(1966年1月発売)
#雨女/はじめての街(1966年6月発売)
#しあわせすぎて/あゝ心にふるさとを(1966年9月発売)
#私だけのあなた/指おり数えて(1967年2月発売)
#ゆきやまつむぎ/砂の城(1967年4月発売)
#ひとり泣く夜のワルツ/愛する人へ(1967年7月発売)
#今宵このひととき/時計(エル・ロッホ)(1968年5月発売)
#口づけをかえして/さよならは一度でいいの(1968年9月発売)
#ただひとすじのブルース/京の雨(1969年3月発売)
#この雨に濡れて/炎のブルース(1969年8月発売)
#涙と幸せ/あなたの噂(1969年12月発売)
#この道を/さよならはあなたから(1970年9月発売)
#スワニー/テネシー・ワルツ(1971年2月発売)
#旅立つ朝/明日に生きる女(1971年5月発売)
#雪山つむぎ/朝を待つ私(1972年2月発売)
#チエミの河内音頭/さんさくずし(1972年6月発売)
#夢のカナリー島/雨のビバリーヒルズ(1972年11月発売)
#面影橋から/ひとり暮しの詩(1973年2月発売)
#歩こうよ/愛はひそかに(1973年7月発売)
#黒髪/デカンショ節(1974年1月発売)
#酒場にて/陽気なスージー(1974年9月発売)
#夜のカウンター/最後のダンス(1975年6月発売)
#はじめまして/いつか見た夕映(1975年7月発売)
#ノスタルジア/緑の谷(1977年1月発売)
#わたしの人生/悲しみの道づれ(1977年8月発売)
#夜ふかし気分/悪いくせだね(1978年1月発売)
#お人好し/人間っていいな(1978年6月発売)
#バイバイ・ボーイ/私はピエロ(1979年6月発売)
#恋の手ざわり/空中ぶらんこ(1980年9月発売)
#満ち潮/目の中の海(1982年3月発売)
映画
* 猛獣使いの少女(1952年・大映)
* 母子鶴(1952年・大映)
* 新やじきた道中(1952年・大映)
* 青春ジャズ娘(1953年・新東宝)
* 紅椿(1953年・大映)
* 陽気な探偵(1954年・東京映画)
* ハワイ珍道中(1954年・新東宝)
* ジャズ娘乾杯(1955年・宝塚映画)
* ジャンケン娘(1955年・東宝)
* 裏町のお転婆娘(1956年・日活)
* チエミの初恋チャチャ娘(1956年・東宝)
* チエミの婦人靴(1956年・東宝)
* 大暴れチャチャ娘(1956年・東宝)
* 花笠太鼓(1956年・松竹)
* ロマンス娘(1956年・東宝)
* 力道山 男の魂(1956年・協同プロ)
* サザエさん(1956年・東宝)
* 恐怖の空中殺人(1956年・東映)
* 歌う不夜城(1957年・東宝)
* ジャズ娘誕生(1957年・日活)
* 続・サザエさん(1957年・東宝)
* 大当り三色娘(1957年・東宝)
* 森繁の僕は美容師(1957年・宝塚映画)
* 青春航路(1957年・宝塚映画)
* サザエさんの青春(1957年・東宝)
* ロマンス祭(1958年・宝塚映画)
* サザエさんの婚約旅行(1958年・宝塚映画)
* 希望の乙女(1958年・東映)
* サザエさんの結婚(1959年・東宝)
* サザエさんの新婚家庭(1959年・東宝)
* サザエさんの脱線奥様(1959年・宝塚映画)
* サザエさんの赤ちゃん誕生(1960年・宝塚映画)
* ふんどし医者(1960年・東宝)
* 唄祭ロマンス道中(1960年・東宝)
* サザエさんとエプロンおばさん(1960年・宝塚映画)
* 福の神 サザエさん一家(1961年・宝塚映画)
* ひばり・チエミの弥次喜多道中記(1962年・東映)
* 銀座の恋の物語(1962年・日活)
* ちいさこべ(1962年・東映)
* 東京さのさ娘(1962年・松竹)
* ひばり・チエミのおしどり千両傘(1963年・東映)
* 咲子さんちょっと(1963年・松竹)
* スター誕生(1963年・松竹)
* この首一万石(1963年・東映)
* 独立美人隊(1963年・松竹)
* ニッポン珍商売(1963年・松竹)
* ど根性物語 銭の踊り(1964年・大映)
* ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば(1964年・東宝)
* 昇り竜やわ肌開張(1969年・日活)
* 幕末(1970年・中村プロ)
* 喜劇 おめでたい奴(1971年・東宝)
* ちゃんばらグラフィティー 斬る!(1981年・東映)
* 巣立ちのとき 教育は死なず(1981年・翼プロ・長野プロ)
ドラマ
* チエミのかわら版太平記(1959年、CX)※関西地区ではMBSにてネットされた。
* 咲子さんちょっと(1961年 - 1963年、TBS)
* サザエさん(1965年 - 1967年、TBS)
* 銭形平次 第127話「おかめの涙」(1968年、CX)
* ザ・ガードマン 第287話「チエミのモーレツ女課長を殺せ!」(1970年、TBS)
* 徳川おんな絵巻 第9話「新入り女中大活躍」・第10話
*「女と男の決斗」(1970年、KTV)
* ヨイショ(1974年6月 - 11月、TBS放映)
* はじめまして (テレビドラマ)(1975/05/01 ~ 1975/09/25:TBS)
* 桃太郎侍 (NTV)
**第76話「魚屋おちか出世噺」(1978年)
**第98話「飛び立った雉の与之助」(1978年)
*吉宗評判記 暴れん坊将軍 (ANB)
**第47話「拳固で治す女医者」(1979年)
**第54話「小判が好きな女医者」(1979年)
*斬り捨て御免! 第3話「悪鬼が散らした無惨花」(1981年、12CH)
*同心暁蘭之介 第18話「母子鳥いつの日」(1982年、CX)
その他の番組
* 徹子の部屋(テレビ朝日)※1976年2月23日、1978年6月23日の2回出演。VTRは現存せず、音声/スチール写真のみ。
* 象印クイズ ヒントでピント(テレビ朝日)※2枠レギュラー解答者・2代目女性軍キャプテン、1979年~1980年出演。
声の出演
* マペット・ショー(1981年、テレビ朝日系)
:ロレッタ・リン(本人役で出演)の声でゲスト出演。
CDアルバム
*KING RE-JAZZ SWING: CHIEMI SINGS
:江利チエミ(歌)/土岐麻子(選曲)2006年(平成18年)発売 20曲収録
江利チエミ役を演じた女優
*松居直美(『美空ひばり物語』 1989年)
*島田歌穂(『テネシー・ワルツ -江利チエミ物語-』 2005年 - 再演中)
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